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怪奇観測所 Center for Gothic Phenomena

海外の怪奇な話、都市伝説、オカルト話を翻訳してみる。(This website includes English translations of Japanese urban legends, scary tales and strange stories.)

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母の嘆願

ある夏の夜、町で映画を見てきた夫婦が、車を家へと走らせていた。家に帰る時にいつも使う道を走っていると、道の端に女の人が立っているのに気づいた。女性は道路に転がるように出てきたかと思うと、夫婦の車に向かって、止まるように手を振った。
夫婦は車を止めて、女性の救助に向かった。女性はひどいケガをしているようで、目には涙をためていた。車で事故を起こしてしまったが、バックシートの赤ん坊を車の外に出せないでいると言った。
男は自分が行って赤ん坊を助け出すから、妻と一緒にいるようにと女性に言った。男がめちゃめちゃになった車に近づくと、バックシートで泣いている赤ん坊の声が聞こえた。男は赤ん坊がまだ生きていることに安心して、車へと走った。バックシートに入り込んで、赤ん坊を救出する。赤ん坊を持ちあげたとき、運転席と助手席で男女が死んでいるのに気づいた。男は、妻と女性が待っている場所に向かったが、その場所に着いてみると、いるのは妻だけだった。
「あの人はどうしたの?」と妻に尋ねると、「彼女は車に戻ったわよ」との答え。妻も赤ん坊が元気な様子なので安心したようだ。
男は赤ん坊を妻に預けて、女性を探しに車へと戻った。めちゃめちゃになった車の所へ再びやってくると、女性を呼んだが、答えはなかった。男が車の前に来た時、壊れたフロントガラスを通して、死んだ男女が見えた。その瞬間、男の顔は真っ青になった。助手席で死んでいる女性は夫婦の車を呼びとめた女性だった。


サイト管理者コメント:
フロリダの話らしいが、日本でもよく語られていそうな話だと思う。このタイプの話は国を問わず流布しているのかもしれない。
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カマキリ(Praying mantis)

今日の夜、息子の部屋の二重窓の間にカマキリが入り込んでいるのを見つけたんです。カマキリはまだそこにいて、出ようとしていますが、どうやって逃がすのが一番いいのか迷っています。7歳の息子はとても興奮していました。カマキリと一緒に夜を過ごしたからではなく、息子はカマキリが絶対に死なないようにしなければと必死だったのです。息子はカマキリはとても良い虫であり、ママの庭にとって有益で、カマキリを殺すのは違法であると思っています。息子は、カマキリを殺すと罰金をたくさん支払わねばならないと考えているようです。
息子がそんなことを言うので驚きました。私や夫はそんなことを言った覚えはないからです。でも私もそういう話を昔聞いたような気がしました。今日の夜、カマキリの写真をフェイスブックに投稿したところ、ニュージャージーに住んでいる友達が、「おや、1000ドル虫(Thousand Dollar Bug)だね」といいました。彼によると、自分が子どもだった時にはカマキリを殺すのは違法であり、カマキリを殺せば1000ドルの罰金を支払わねばならなかったとのことです。
実際にはこの話は本当ではなく、1950年代ごろから流布している都市伝説でした。カマキリを殺すのが、アメリカで違法であったことはありません。

ホムンクルス

心理学者のカール・ユングは、錬金術についても研究しているが、ホムンクルスについて初めて記述した錬金術の文献は、紀元3世紀に書かれた『ゾシモスの幻』だと考えていた。ただし、この書ではホムンクルスという言葉は使われていない。
ゾシモスは、男が剣で自分の身体を突き刺し、我慢できないほどの苦しみにもだえる、という幻を見た。男の眼は血のように真っ赤になり、口から肉を吐き出し、自分とは反対の物に姿を変え、バラバラに切断されたanthroparionに姿を変えた。(anthroparionとは、ギリシャの錬金術で使われた言葉で、ゴーレムのような人造生命を指す。ただし、ゴーレムとは違って意志や知性を備えている。)男は歯で自分の肉を食い破り、自分の身体の中に埋没した。これはウロボロスをかなりグロテスクに擬人化したものと言える。ウロボロスとは、自分のしっぽに噛みついているドラゴンであり、錬金術ではdyophysite(両性性。二つの原理の均衡)を表す。ゾシモスはその後にも、真鍮人、鉛人などのいくつかのホムンクルスに出会っている。ホムンクルスは耐え難い苦痛に身をさらし、錬金術的な変身を遂げる。ゾシモスは、人造人間の製造については何も語っておらず、錬金術を探究するために無生物である金属の擬人化を行った。
イスラム錬金術では、高名なジャービル・イブン=ハイヤーン(ヨーロッパでは後にゲーべルの名で知られる)などの一部の錬金術師の目的は、Takwinであった。錬金術においては、Takwinは、実験室における人工生命(人造人間を含む)の創造を意味する。
他の錬金術師は、別のホムンクルス製造術も紹介している。例えば、マンドラゴラ(mandrake)を使用する方法である。よく知られている話では、縛り首にされた囚人の精液が落ちた場所からこのマンドラゴラという植物が生え、その根は人間の姿に似ているという(非常に似ている場合やそれほど似ていない場合もある)。根は、金曜の夜明け前に黒犬によって引き抜かれなければならず、洗った後にミルクと蜂蜜(および、場合によっては血)を与えられなければならない。こうすると、マンドラゴラは小さな人間へと成長し、主人を守るようになる。
他にも製造術はあり、18世紀のギーセン大学のDavid Christianus博士が次のような製造術を紹介している。まず、黒鶏が産んだ卵に小さな穴をあけ、豆粒ほどの卵白を人間の精液と入れ替える。それから、まっさらな羊皮紙で穴を封じ、太陰暦の3月1日に卵を肥やしの中に埋める。30日後に卵から小さな人間が現れ、ラベンダーの種とミミズを毎日与えると、お返しに主人を助け守るようになる。

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アラビアのエルサレム(聖書アラビア起源説)

カマール・サリービー(1929年ベイルート生まれ)はベイルート・アメリカン大学歴史考古学部の名誉教授であり、ヨルダン王立宗教間対話研究所の名誉所長(かつては創設所長)である。
レバノンのバムドゥン(Bhamdoun)村出身のプロテスタントである彼は、ベイルートの進学校(現在は国際大学)で中等教育を修了し、ベイルートアメリカン大学で歴史と政治学の学士号を得た。その後、ロンドン大学のオリエント・アフリカ研究スクールに移り、バーナード・ルイス(Bernard Lewis)教授の指導のもとで博士号を得た。彼の論文は『中世レバノンのマロン教の歴史家たち』という題で出版されている。
オリエント・アフリカ研究スクールを卒業したあと、サリービーは最初、アラブ学の書誌学者としてベイルートアメリカン大学に勤務し、その後歴史考古学部の教授に就任した。歴史考古学部には他にもNicholas ZiadehやZein Zeinのような著名な歴史家がいた。1965年に、サリービーは『レバノン現代史』を出版したが、この本はその後アラビア語、ロシア語、フランス語に翻訳されている。その後、彼は歴史学部の支柱として活躍し、Abdul-Rahim Abu-Husayn(オスマン帝国史の大家)などの学生の教育・指導に当たった。
1982年の夏にイスラエルがレバノンに侵攻したとき、サリービーは『アラビア生まれの聖書』という名の本の原稿を完成させつつあった。この本はロンドンで英語で出版されたが、同時にドイツの出版社がドイツ語版を制作した。サリービーは、その後も同様の語源学と地理学的手法を用いて、聖書をテーマにした本を何冊か書いている。一方、『宿曜宮:レバノン史再考(A House of Many Mansions: The History of Lebanon Reconsidered)』(1988年)や『ヨルダン現代史』(1993年)などの本も出版している。
1994年、サリービーは、ヨルダン王立宗教間対話研究所の設立プロジェクトに参加している。ベイルートアメリカン大学から退任後、1997年から2004年まで、同研究所で所長を務めた。その後はDruze遺産財団の顧問に就任している。
 

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A story from childhood

This is a story from my childhood.
There was a small shrine which was located a little away in the direction of a mountain from the house of my grand father and grand mother.
I think that a shrine is usually a place where children gather to play or do physical training, but children were told by their parents not to enter the small shrine. Also it had a wooden door in the gate and the door was always closed. So I, as a child, thought it was a strange shrine.
One summer my cousin who was 4 years older than I came to see my family and went to a mountain to catch butterflies. However he broke into a high fever after his return.
He groaned in his sleep “Old man...I met an old man at the shrine...” and my grand mother brought the chief priest of the shrine.
The priest and his companions took his futon mat with him on it from our house, though my memory is vague because I was a kid.
I have no recollection about the developments after that and it was about three years later that I met the cousin.
I asked him about how things went on after that and he replied: the gate of the shrine was open and he found a butterfly in a flower bed beyond the gate. So he passed the gate and saw an old man. But he had no memory of events after that.
He told me that he lost his sight of one eye due to an after effect of the fever or for other reasons.
What happened at the shrine?

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