ギリンガム・フェア火災(ファイアマンズ・ウェディング火災とも言われる)は、イギリスのケント州ギリンガムで1929年7月11日に起きた。消防隊員によるデモンストレーション中の事故で、15人の男性と子供が亡くなった。
背景
1920年代のころは夏になると、地元のセントバーソロミュー病院の資金集めのためにギリンガム公園でお祭りが催されていた。このお祭りで一番盛り上がるのは、お祭りの最後にギリンガム消防署の隊員たちによって行われる消防・救出活動のデモンストレーションだった。
毎年、木材と布で3階建て(高さ12メートル)の建物が公園に建てられた。この建物の中で、模擬結婚式が行われ、二人の消防隊員が新郎新婦の格好をしてゲスト(他の消防隊員、海軍の士官訓練性、ボーイスカウトのグループ)をねぎらうのだが、その最中に火災が起こる。そこで建物の中にいる人たちの救助が上の階から行われる。もちろん実際には、閃光弾や発煙筒で火事が起こっているような演出を行うだけだ。全ての人々が救出された後に、建物に火がつけられ、消防隊員たちは自分たちの消防技術を思う存分に発揮して鎮火を行う。
火災事故
6人の男性と10~14歳の9人の少年たちが、救出されるために建物の中に入った。しかし原因は分かっていないが、なぜか建物に予定より早く火がつけられてしまい、大災害を引き起こすこととなった。火はまたたく間に広がり、建物の最上階まで到達し、中にいた者たちは燃えさかる建物から出られなくなった。消防隊員たちはすぐに火災が演出ではなく本物であることに気付いたが、見物客たちはおかしいとも思わずに、助けを求める叫びを演技と考えて、驚くほどリアルな演出に歓声や喝采を送ったという。彼らが火災が本物だと気付いたのは、服に火が付いた二人の少年が建物の屋上から死に物狂いで飛び降りたときだった。
火は数分で消し止められたが、火勢は強く13人がその場で亡くなった。救出された者が2人いたが、やけどのために病院で息を引き取り、死者は全部で15人となった。この2人が亡くなったのはセントバーソロミュー病院で、彼らはこの病院の資金集めのためにイベントに参加していたのだった。犠牲者の葬儀は7月17日に行われたが、当日にはギリンガムのすべての商店は店を閉め、何千もの人々が葬儀に参加し、その葬列は3キロにもおよんだ。
カナダのブリティッシュ・コロンビア州で養豚業を営んでいた億万長者のロバート・ピクトンは、6~50人の売春婦を殺害したシリアルキラーである。彼はバンクーバーの売春婦を殺し、遺体を切断し、ブタの餌にした。しかし、これはこの男の異常な行動のほんの一部にすぎない。
ピクトンはしばしば、バンクーバーの裏通りを徘徊し、金とドラッグを提供すると言って売春婦を誘い、彼女らを自分の養豚場に連れて戻った。ピクトンはそこで彼女らを殺害し、遺体を解体し、独特の方法で処理した。
ピクトンは遺体をブタの餌にしただけではなかった。一部の犠牲者の頭部、手、足をまとめて、養豚場の周りに設置した冷蔵庫の中に保存した。犠牲者の中には、葉っぱや木くずと一緒に木材破砕機で処理された者もいた。捜査官たちは、ピクトンが豚の不要な部分(内蔵、血、骨)と人間の遺体をまとめて、バンクーバーの動物飼料精製工場に提供したことは間違いないと考えている。それらは口紅やシャンプー、石鹸の材料になった。
町に新しい古着店がオープンし、ある女性がその店でドレスを買った。彼女はそれを着てパーティに行った。パーティの途中で、すこし気分が悪くなったが、カクテルを何杯か飲んでいたので、酔ったんだろう、ぐらいにしか考えなかった。しばらくして、友達にさよならを言って家に帰った。その夜、アパートの部屋で一人でいるときに、具合がどんどん悪くなり、朝までには彼女はトイレで死んでしまっていた。パーティドレスは着たままだった。
死体安置所での検視のとき、検察医は遺体のドレスに見覚えがあることに気づいた。何週間か前に持ち込まれた遺体が身に着けていたドレスだった。検察医はその遺体をドレスごと防腐処理し、その後で、ドレスを脱がせて、そのドレスを知り合いの古着店に売りはらったことを思い出した。
検察医は、防腐処理液がドレスにしみ込んでいたのだと気付いた。女性がドレスを買ってパーティに着て行った時、彼女は防腐処理液に身をさらしていたのだった。防腐処理液は彼女の身体にしみ込み、彼女を死に至らしめたのだった。
]]>