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怪奇観測所 Center for Gothic Phenomena

海外の怪奇な話、都市伝説、オカルト話を翻訳してみる。(This website includes English translations of Japanese urban legends, scary tales and strange stories.)

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サン・ジェルマン伯爵(その2)

何十年たっても全く年をとらない
サン・ジェルマンはその後40年、ヨーロッパのさまざまな場所を訪れたが、その間、全く年をとったようには見えなかった。彼に会った人々は、彼のさまざまな能力や独特なたたずまいに感銘を受けた。
・バイオリンの腕は達人レベルだった。
・熟練した画家だった。
・どこへ旅行しても、錬金術を研究するための、設備の整った実験室を設置した。
・大金持ちのように見えたが、銀行口座は持っていないようだった。(これが卑金属を金に変える彼の能力によるものだとしても、彼はこの能力を人前で行うことはなかった)
・彼は社交好きで、友人と食事するのを好んだが、人前で食事することはめったになかった。彼はオートミールを食べていたと言われる。
・顔のしわを取る方法や髪を染める方法を知っていた。
・宝石が大好きで、彼の服や靴には宝石がはめ込んであることが多かった。
・宝石を描く技術が特に優れていた。
・いくつかの小さなダイヤモンドを一つの大きなダイヤモンドにすることができると語っていた。また、真珠を信じられないほど大きくすることができるとも語った。
・いくつかの秘密結社(薔薇十字団、フリーメーソン、アジア同胞団[Society of Asiatic Brothers]、光の騎士団、イルミナティ、テンプル騎士団)に所属していた。




科学と理性の人物として有名な18世紀の哲学者ヴォルテールは、サン・ジェルマンは「不老不死の人、全知の人」だと言った。
サン・ジェルマン伯爵は、政治の世界やヨーロッパの上流階級の交友関係について非常によく知っており、こうした知識を18世紀を通じて利用し続けた。
1740年代には、フランスのルイ15世によって外交官として信任され、イギリスでルイ15世のための秘密任務に従事した。
1760 年には、ハーグで同様の任務に従事し、数々の女性と浮名を流したことで有名なジャコモ・カサノヴァと出会った。後にカサノヴァは、「このとてつもない男 は、落ち着き払った態度で当然のように自分は300歳であり、万能薬の秘密を知っており、自然を支配する方法について知悉しており、ダイヤモンドを溶かす ことができると語った。しかし、こうしたことを彼は大したことだとは思っていないようだった」とサン・ジェルマンについて述べている。
1762年には、ロシアに赴き、エカチェリーナ2世を即位させる陰謀に加担した。サン・ジェルマンはのちに、トルコとの戦争に際してロシア帝国軍の司令官となった(ロシア側勝利)。
1774年にはフランスへ戻ったが、この時のフランスの王はルイ16世であり、王妃はマリー・アントワネットであった。サン・ジェルマンは15年後に起こる革命について王と王妃に警告した。
1779年には、ドイツのハンブルクに赴き、ヘッセン選帝侯家の公子であるカールと仲良くなった。その後5年間、エカンフェーデにあるカールの城で、客人として過ごした。地元の記録によると、サン・ジェルマンは1784年2月27日にこの地で死去した。


死からの復活
有限の命を持つ普通の人間ならこれで物語は終わりであるが、サン・ジェルマン伯爵の場合はそうはいかない。彼は19世紀を通じて目撃され、20世紀になっても生きていたと言われる。
1785年にはドイツで、催眠術の創始者であるアントン・メスメルと一緒にいるところを目撃されている。(メスメルに催眠術と人心掌握術[personal magnetism]を教示したのは、サン・ジェルマンだと主張する者もいる)
フリーメーソンの公式記録には、フリーメーソンが1785年の会議の代表としてサン・ジェルマンを選んだとある。
1789 年のフランス革命でのバスティーユ監獄の占拠の後、Comtesse d'Adhémar(アドエマール伯爵夫人)は、サン・ジェルマン伯爵と長いこと話したと述べた。サン・ジェルマンは、まるで予知しているかのようにフラ ンスが近い将来どうなるかについて彼女に話したという。1821年に、彼女は、「またサン・ジェルマン伯爵と会った。いつ会ってもびっくりさせられる。王 妃(アントワネット)が殺された時、ブリュメールの18日、1815年1月にアンギャン公が死去した日の翌日、ベリー公殺害の日の前日にも彼に会った。」 彼女がサン・ジェルマンを最後に見たのは、1820年で、いつ会っても彼はせいぜい40代半ばにしか見えなかったという。
1821年の後、サン・ジェルマンは名前を変えたかもしれない。アルバート・ヴァンダムは自身の回想録でサン・ジェルマン伯爵によく似ている人物に会ったと記している。この人物はフレーザー少佐と名乗っていた。ヴァンダムは次のように書いている。
「彼 はフレーザー少佐と名乗り、一人暮らしをしており、サン・ジェルマンの家族であるとほのめかした。さらに、フレーザーは金払いがよかった。ただ、その金の 出所についてはだれにも分からなかったが。また、彼はヨーロッパのすべての国の歴史について驚くほどよく知っていた。彼は信じられないほど博覧強記の人物 で、興味深いことに、彼の話を聞く者はたいてい、彼の知識は本から得たものではないという印象を受けた。彼は話す時に不思議な笑みを浮かべながら、ネロや ダンテなどと直接会って話したことがあると述べた。」
フレーザー少佐は、何の痕跡も残さずに姿を消した。
1880年から1900年の間、 サン・ジェルマンの名は再び脚光を浴びた。ヘレナ・ブラヴァツキーなどの神智学協会の会員たちが、彼はまだ生きており、「西欧の精神的発展」のために活動 していると述べたからだ。ブラヴァツキーとサン・ジェルマンが一緒に写った「本物の」写真もあった。1897年に、フランスの有名な歌手Emma Calveは、自身のサイン入りの肖像画をサン・ジェルマンに捧げた。
サン・ジェルマンであると主張する人物が最後に目撃されたのは1972年の パリである。Richard Chanfrayという名の男性が自分は伝説的なサン・ジェルマン伯爵であると主張した。彼はテレビに出演し、自分がサン・ジェルマンであることを証明す るために、カメラの前で、キャンプ用ストーブの上の鉛を金に変えたらしい。その後、Chanfrayは1983年に自殺した。
一体、サン・ジェルマン伯爵とは何者だったのか。彼は永遠の命の秘密を発見した錬金術師だったのか?タイムトラベラーだったのか?あるいは非常に博識な人物で、その博識さゆえに空想的な伝説が生まれたのか?
サン・ジェルマン伯爵、あなたがまだ生きているなら、ご連絡ください。ぜひインタビューさせていただきたいと思います。私の読者たちは、あなたが今何をしているのかを気にしています。
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