カマール・サリービー(1929年ベイルート生まれ)はベイルート・アメリカン大学歴史考古学部の名誉教授であり、ヨルダン王立宗教間対話研究所の名誉所長(かつては創設所長)である。
レバノンのバムドゥン(Bhamdoun)村出身のプロテスタントである彼は、ベイルートの進学校(現在は国際大学)で中等教育を修了し、ベイルートアメリカン大学で歴史と政治学の学士号を得た。その後、ロンドン大学のオリエント・アフリカ研究スクールに移り、バーナード・ルイス(Bernard Lewis)教授の指導のもとで博士号を得た。彼の論文は『中世レバノンのマロン教の歴史家たち』という題で出版されている。
オリエント・アフリカ研究スクールを卒業したあと、サリービーは最初、アラブ学の書誌学者としてベイルートアメリカン大学に勤務し、その後歴史考古学部の教授に就任した。歴史考古学部には他にもNicholas ZiadehやZein Zeinのような著名な歴史家がいた。1965年に、サリービーは『レバノン現代史』を出版したが、この本はその後アラビア語、ロシア語、フランス語に翻訳されている。その後、彼は歴史学部の支柱として活躍し、Abdul-Rahim Abu-Husayn(オスマン帝国史の大家)などの学生の教育・指導に当たった。
1982年の夏にイスラエルがレバノンに侵攻したとき、サリービーは『アラビア生まれの聖書』という名の本の原稿を完成させつつあった。この本はロンドンで英語で出版されたが、同時にドイツの出版社がドイツ語版を制作した。サリービーは、その後も同様の語源学と地理学的手法を用いて、聖書をテーマにした本を何冊か書いている。一方、『宿曜宮:レバノン史再考(A House of Many Mansions: The History of Lebanon Reconsidered)』(1988年)や『ヨルダン現代史』(1993年)などの本も出版している。
1994年、サリービーは、ヨルダン王立宗教間対話研究所の設立プロジェクトに参加している。ベイルートアメリカン大学から退任後、1997年から2004年まで、同研究所で所長を務めた。その後はDruze遺産財団の顧問に就任している。